ゆあみ
"ゆあみ"(湯浴み)とは、河の水であれ、海の水であれ、湯水であれ、それを用いて身体や髪を洗い、清めること、つまり沐浴(もくよく)です。
"ゆあみ"の「ゆ」とは、清らかなもの、けがれがないという意味があり、「あみ」は、浴びるという意味です。"ゆあみ"とは、元来は水浴のことで、沸かした水で身体を洗うことは、文化の発達した時代になってからであり、裕福な人達でなければできませんでした。
風呂の語源
私達は入浴することを"風呂に入る"と表現します。しかし"風呂"と言う言葉は、本来、蒸し風呂を意味していました。
蒸し風呂は、蒸気を浴びて身体の汚れをふやかし、こすりだした後、湯で流すという仕組みの為、蒸気を逃がさない狭い部屋(室)にこもります。そのため室(ムロ)から派生して風呂(フロ)の語源が生まれたとも言われています。
一方、私達が日頃行っている入浴スタイルは、江戸時代中期以降(約270年前)確立されたもので"風呂"に対し"湯"と呼ばれていました。
"湯"とは、本来、身体にかけるもの(=行水という行為)から、全身で浸かるものに変化し、時代を経るに従い、蒸し風呂が日常生活で見られなくなり、"風呂"と"湯"は混同して用いられるようになりました。
銭湯
銭湯、つまり有料の入浴場の始まりの明確な起源はさだかではありませんが、鎌倉時代末には京都・八坂神社社内に銭湯があった記録があります。
江戸銭湯の始まりは、徳川家康入府の翌年、天正19年に、伊勢の人、与市という者が常盤橋と呉服橋の間にあった銭瓶橋のほとりに銭湯をつくり、永楽一銭で入浴させたのが最初といわれています。
江戸と大阪では、銭湯が出来たのは大阪の方が一年早く(天正18年)できたようです。
銭湯の壁画に富士山が多い理由
末広がりで縁起が良い/見飽きない/雄大だ/誰からも親しまれている
湯船
江戸時代、風呂を設置した船で、銭湯の無い場所や少ない地域を巡回する商売が登場しました。
そして、その移動船から"湯船"という言葉が生まれたと言われています。
五右衛門風呂
1594年(文禄3年)、大盗人の石川五右衛門が手下とともに捕らえられ、本人とその子供は諸人への見せしめとして、残酷な釜ゆでの刑に処せられたという説話にもとづく名の風呂です。
<参考文献>
- 全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会編集「公衆浴場史」
- 中野栄三 「入浴・銭湯の歴史」1984 雄山閣
- 大場修 「風呂のはなし」 1986 鹿島出版会
- 武田勝蔵 「お風呂と湯の話」1996 初版7刷 はなわ新書
- ティドビット ~水まわりのまめ知識~ TOTO
- 川上 利勝 「風呂と人間」 1977 メジカルフレンド社
- 埼玉県立博物館 「ゆ~お風呂の文化史~」 2000
- 町田 忍 「銭湯」「五右衛門風呂」写真
- 津村 重舎 「漢方の花」 1982 サンケイ新聞プロダクション